【産地】

モカコーヒーの産地はアラビア半島南西部にあるイエメン共和国の山岳地帯とアフリカ大陸北東部にあるエチオピアの高原高地です。
イエメンの主な産地は首都のあるサナア州、ホデイダ州、タイズ州の標高1,000mから3,000mの山岳地帯です。中でもサナア州のバニー・マタル地方で算出されるモカ・マタリは世界的に最高級のコーヒーの1つに数えられます。
エチオピアの主な産地は東部のハラール州と南西部のカファ州です。特にハラール州の標高1,500mから2,500mにある州都ハラールの近郊で産出されるコーヒーは「モカ・ハラー」とか「モカ・ハラリ」と呼ばれ、その独特の香りと味は世界の市場で高く評価されています。

【名前の由来】
「モカ」とはイエメンの南西岸、紅海に面する小さな港町の名前です。昔、アラビアで産出されたコーヒーはこの港から船積みされたので、港の名に因んで「モカコーヒー」と呼ばれました。港は1800年代の中頃から、やや沖合いに潮流が運んできた土砂が堆積してできた砂地のため閉鎖され、その後コーヒーは西岸のホデイダや南岸のアデンから輸出されています。輸出港は変わりましたが、モカコーヒーの名前は今日でもそのまま使用されています。
エチオピア産コーヒーもモカの名で取引されます。理由は「イエメン産モカコーヒーの木は、元はエチオピアから移植されたものだから」とか、「産地がイエメンに近いし、品質が似ているから」、「以前エチオピア産コーヒーはモカ港経由でヨーロッパに輸出されたから」などさまざまで、はっきりしたことは分かりません。

参考までに、イエメン産モカとエチオピア産モカに関する専門家の著書の抜粋を挙げておきました。

●ユーカーズ・ティー&コーヒー・バイヤーズ・ガイド
《ハラーは、エチオピアの州及び都市名。ハラー産コーヒーは以前「ロングベリー・モカ」あるいは「アビシニアン・ロングベリー」の商品名で呼ばれていたが、現在は「ハラー」と呼ばれる。
モカは、アラビアの紅海に面する、昔の重要なコーヒー輸出港。かってアラビア産コーヒーはこの港から輸出されたことから「モカコーヒー」と呼ばれた。従ってアラビア産のコーヒーだけが、モカの商品名を名乗る資格がある》

●ピーター・キンメ著「コーヒーと茶」
《エチオピアのコーヒーはモカに非常に良く似ているので、かなり大量のエチオピア産コーヒーがモカの名で取引されている》

●ハリー・ロルニック著「ザ・コンプリート・ブック・オブ・コーヒー」
《モカは、もとはイエメンの港町の名。モカコーヒーはこの港から船積みされた。イエメンから輸出される数量は少なく、エチオピアから輸出される量のほうが多いようだ》

●コルビー・キュンメル著「ザ・ジョイ・オブ・コーヒー」
《自然乾燥式で精選された、野性的な味を持つコーヒーの最たるものは、イエメン産の純正モカと、紅海を挟んでイエメンの対岸にあるエチオピアのハラー地方産及びジマ地方産のモカに似たコーヒーである。これらは皆、モカの名で取引される。コーヒー専門家にはそれぞれのコーヒーの違いが分かるが、コーヒーの初心者にはほとんど区別がつかない》

●ケネス・ディビッズ著「コーヒー:買い方、点て方、楽しみ方の手引き」
《現在、我々が「モカ」と呼んでいるコーヒーは、イエメンの山岳地帯で過去数百年にわたり生産されてきたコーヒーである。コーヒーは昔はモカ港から船積みされ、それ故にモカコーヒーと名付けられたのだが、この港は百年以上も前に砂州で閉鎖された。「モカ」という言葉は世界中に浸透し、コーヒー用語の一つとなっているため、イエメン産のコーヒーに対して今でも使われている。しかし、正確には「イエメンコーヒー」とか「アラビアンコーヒー」と呼ぶべきだろう。

コーヒーが初めて栽培されたのはイエメンだが、アラビカコーヒーの発祥地はエチオピアの高原地方である。アメリカで販売されるエチオピアコーヒーは、「エチオピアン・ハラー」「ロングベリ・ハラー(大粒)」、ショートベリー・ハラー(小粒)」あるいは「モカ・ハラー」と呼ばれる。しかし決して「エチオピア産のモカ・ハラー」とイエメン産のモカ」を混同してはならない》

イエメン産コーヒーは、輸出港のモカに因んでモカコーヒーと名付けられました。しかしモカ港は1800年代中頃に砂州で閉鎖され、その後コーヒーはホデイダ港やアデン港から輸出されています。ディビッズ氏の「イエメン産コーヒーはモカコーヒーではなくイエメンコーヒー、あるいはアラビアンコーヒーと呼ぶべきだろう」という主張の背景にはこうした事情があります。しかし例えば、日本で人気の高いタンザニア産の「キリマンジャロコーヒー」は全てがキリマンジャロ山やその山麓で産出されたコーヒーとは限りません。従って「モカ港から輸出されたコーヒーでなければモカコーヒーでない」という主張は必ずしも当を得ていないのです。要するに「モカ」は親しみを込めて呼ぶ名、つまり「愛称」と考えたらよいと思われます。
市場ではイエメン産もエチオピア産も共に「モカ」の名称で流通していますが、両者は産地が異なり、それぞれ独特の香味を持っているので、「イエメン産モカ」、「エチオピア産モカ」とはっきり区別する必要はあります。

【港町モカの歴史】
今からおおよそ2〜3千年前、古代部族ヒムヤル族がアラビア半島南部を支配していた時代、紅海沿いに大きな港がありましたが、それがモカかどうかは定かではありません。当時はアラビア特産の乳香(祭式などの香料としてたく樹脂)やミルラ(苦味と芳香のある樹脂で薬用・香水用にする)の交易が盛んでした。
モカの名が最初に文献に現れたのは1400年代の初めです。文献によると、ヨーロッパ人が紅海に姿を見せるようになった頃は、モカは既に港湾都市として繁栄していました。
1500年代から1600年代、モカはアラビア半島南部のコーヒー輸出港として隆盛を極め、人口は5万を数えました。1614年、オランダが商館を設置しました。
1616年、モカを訪れたオランダ人ピエトル・バンデル・ブレッケは当時のモカの様子を次のように書き記しています。
『モカの町は出入りする隊商で活気に満ちていた。1千頭に近いラクダの隊商が、遠く離れたハンガリーやベネチアからヨーロッパの商品を運んできた。隊商が運び出すのは果実や織物、香辛料、染料、陶器などだが、中でも特に重要なのはヨーロッパ人が渇望するイエメンの山岳地帯で取れるコーヒーだ』
2年後の1618年、イギリス人とオランダ人が初めてコーヒーの工場を建設しました。1630年代、ベネチアやアムステルダムの大都会にコーヒーハウスが続々誕生すると、イエメン1国では供給しきれないほどモカコーヒーの需要は急増し、価格は暴騰しました。モカの町は巨万の富を築いたコーヒー商人たちの豪華な大邸宅が立ち並びました。当時イエメンは世界のコーヒー市場をほぼ独占、この結果、「モカコーヒー」はコーヒーの代名詞となり、現在でも使われるほど有名になりました。
しかし、コーヒーの木はとうとうイエメンから海外に持ち出され、1700年代初期にはセイロン(現在のスリランカ)やインドネシアのジャワ島にコーヒー農園が誕生しました。
こうしてイエメンの独占が崩壊すると、栄華を誇ったモカの町も衰退の道をたどり始め、1839年イギリスが南アラビアのアデン港を占領して大貿易港に発展させたことが衰退に追い討ちをかけました。またちょうどその頃、モカ港は潮流で運ばれた土砂がたまり、港としての機能を失い、やがてコーヒー輸出港としての地位をホデイダやアデンに奪われました。

*コーヒーの発祥地がエチオピアかアラビアかについては長い間研究者の間で盛んに論じられてきました。エチオピア説を採る研究者は、コーヒーの名はコーヒーの木が自生するエチオピアのカッファに由来すると主張、アラビア説を採る研究者は、コーヒーの学名コフィア・アラビカは発祥の地アラビアに由来すると主張しました。
しかし今日では発祥地はエチオピア、コーヒーを栽培し、世界に広めたのはアラビアとするのが定説となっています。
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